建学の精神・沿革

学び、人の役に立つ

「金蘭」の名前の由来

古代中国の書物「易経」の「繋辞伝(けいじでん)」にある、「二人心を同じうすればその利きこと金を断つ、同心の言はその臭(かおり)蘭の如し」の一節よりとったものです。
その由来のごとく「社会に尽くしたい」という数名の女生徒たちの活動から生まれた崇高な志は、100余年を経た今でも脈々と受け継がれています。

「日本に女学校がほとんどない中で、入学試験不合格に泣く女子も多く、
どうにかして助けてあげたい」

明治38年(1905年)
大阪府立堂島高等女学校(現・大阪府立大手前高等学校)の同窓会「金蘭会」が、「私立金蘭会女学校」を設立。
明治41年(1908年)
文部大臣認可の正規の女学校「私立金蘭会高等女学校」を開校。
大正9年(1920年)
大淀学舎完成。大正11年(1922)には大淀学舎に完全移転。
大正14年(1925年)
創立20周年を機に、新たな同窓会「芳友会」を設立。
昭和16年(1941年)
日米開戦、太平洋戦争へ。戦時下のため授業時間が短縮される。
昭和20年(1945年)
6月の大阪大空襲により木造校舎全焼。8月敗戦。10月以降、不定期的に授業が再開される。
昭和23年(1948年)
「私立金蘭会高等学校」を発足。
昭和26年(1951年)
木造校舎の復興が完了。戦災からようやく立ち直ることに。
昭和38年(1963年)
「金蘭会短期大学」を大淀学舎内に開学し、家政科を設置。
昭和40年(1965年)
新学舎を北千里に開校。金蘭会短期大学は「金蘭短期大学」と名前を改め、国文科、英文科を増設。
昭和42年(1967年)
家政科を家政専攻と食物栄養専攻に分離。第1回大学祭がおこなわれた。
昭和46年(1971年)
家政科家政専攻を、家政専攻と家庭経営専攻に分離。

「学校をたとえ良い成績で卒業しても、習ったこと以外は知らないという女性ではいけない。
心と感性豊かな女性として、社会に出て行く必要がある。」

昭和57年(1982年)
千里学舎に9階建て本館と佐藤記念講堂が完成。会食と音楽会・講演会からなる「教養課程」が、他校に類を見ない新しい制度として発足。
平成8年(1996年)
家政科を生活科学科に名称変更。生活科学科は、生活学専攻・生活経営専攻・栄養科学専攻・食物科学専攻の4専攻となる。
平成14年(2002年)
現代社会情報学科開設。

「人の心を思いやり、仲間と心を一つにし、誰かのために動き出せる女性であれ。」

平成15年(2003年)
千里金蘭大学を4年制大学として開学。開設学部は生活科学部食物栄養学科。
平成16年(2004年)
千里金蘭大学に人間社会学科と情報社会学科の2学科からなる人間社会学部を開設。
平成16年(2004年)
金蘭短期大学を千里金蘭大学短期大学部に名称変更
平成17年(2005年)
短期大学部に生活文化学科を開設
平成17年(2005年)
金蘭会学園が創立100周年を迎える。
平成19年(2007年)
千里金蘭大学 生活科学部に児童学科を開設
平成20年(2008年)
千里金蘭大学に看護学部看護学科を開設
平成28年(2016年)
児童学科を児童教育学科へ名称変更
令和4年(2022年)
千里金蘭大学大学院看護学研究科(修士課程)を開設